生体師ケイスケです
ブログタイトルの説明文にあるように
私は空手家の端くれでもあります。
数年前に書いた文章ではありますが
ご縁をいただいたあなたにシェアさせていただきます。
今日は空手の世界でよく使われていた「押忍」という言葉について書きます。
もともと、私が空手に興味を持ったころ(40年数年前)、空手の世界では「上位下達」の挨拶言葉でやたらと「オス」が使われている印象があり、それが空手に対する嫌悪感にもつながっていました。
この「オス」という言葉は、空手の世界で「ハイ」という返事の代わりに使われる独特の言葉なのです。空手の世界に住む人たちに対するイメージはこの「オス」という言葉から受ける印象と深く結びついているように思われます。「目上の人」に対して、いつも「オス、オス」というただひとつの言葉しか返さない空手の世界の住人たちを、外部の人たちはまず絶対的な上下関係の中に生きている、前近代的な精神の持ち主とイメージしています。自分自身の考えや意見を持たない、服従するだけの没主体的なキャラクターとしてのイメージです。もっといえば、腕力はあるけれども、一人の人間としての精神的自立力に欠ける、ある種の退行したイメージです。実際、権力や金力のある者に媚へつらい、彼らの庇護の下に、肩で風を切って歩くような風潮、「強い者に弱く、弱い者に強い」といった悪しき傾向が、武道界空手界にある、と思いました。
空手の世界ではよく使われている(実態は良く知らないが)「押忍」という言葉に対する違和感や嫌悪感を持ったことがあります。それは、空手道場やそこでの人間関係が、絶対的な上下関係になっていて、それで見せかけの組織の強さが保たれていることにつながります。いうまでもなく、絶対的な上下関係の中からは、本当の人間の強さは生まれてはきません。それが生み出すものは、組織としての集団的な権力システムの強さだけです。武道とは、本来的に人間としての強さを磨いていくためのものです。個人としての人間が抱いている信念や思想という精神的な側面の力を高めていくためにこそ武道は存在しているはずです。「オス」をやたらと乱用する武道界(道場)は、本来の武道とは逆行した作用を個々人の精神に及ぼしてしまっているといえます。
ところで「オス」という言葉は、普通「押忍」という漢字が当てられます。この二つの漢字は意味的には正反対の概念をもっています。一方の「押」という字には、たとえば「あの人は押しが強い」とかいう場合に用いられる、積極的で能動的な意味が込められています。それに対して、もう一方の「忍」という字には、「我慢する」とか「耐え忍ぶ」とかいう受動的な意味合いが込められています。ここからわかることは、「オス」は本来、ただの服従のための返答の言葉ではないのです。なぜか間違った使われ方をしてきたのだと考えられるのです。
目の前の相手に対し「オス」と答え、状態としては従いながら、心の中ではその相手を「押して」いる、つまり一見その目の前の相手に服従しながらも、精神は「押されて」いない、精神だけは相手に対し盲従せずにそこから自立している、そういった複雑な心理状態がその「オス」という返答の言葉の中には込められているのです。世間の一般的なイメージとしては「ハイ」という言葉よりももっと服従の意味合いの強い「オス」という言葉が、実は「精神の自立」の心理状態を含み持っているのです。本当は絶対服従のための返答の言葉ではなく、「たとえ目上の人間であろうとも、<耐え忍ぶ>だけではなく、心は絶対に<押し>ていろ、完全に服従するな、心だけは相手から自立していろ。」本当はこういった心理状態をこそ、この言葉は使う人に要求しているのだと思います。元来はこういった内容が込められているはずのこの「オス」という言葉が、どうして絶対服従の意味合いをもったものとしてしか用いられなくなったのでしょうか。それはおそらく指導>の側に問題があります。空手の指導者たちが、そういったところまで空手の武道性の意味を深めていない、というより、間違って捉えていることに原因があると思われます。
「押忍」という言葉に込められる「忍びながらも押し続ける」という心の状態に込められている思想は正しく伝えたいものです。自分の自立した信念と思想以外の何物にも絶対服従しない、いかなる上下関係の中におかれようとも、自分の自立した精神を持ち続ける、そういった意味をもつことを正しく伝えたいものです。「押忍」というたった一つの言葉をめぐって、どれだけの精神の在り方を空手の指導者たちは人々に伝えているのでしょうか。
私は空手家のはしくれとして、「オス」という言葉を正しく復権させることは、武道の復権というライフワークにとっても大事な一端だと考えています。もし本当の「空手の思想」というものが身についていたら「オス」という言葉から社会(世間)に対して服従のイメージを与えるようなことはあってはならないのです。絶対服従の状態を拒否するからこそ「オス」という言葉を用いるのだという姿勢をむしろ門外漢の人々にも伝えていくべきなのです。
今はかつての空手ブームも去り、どの団体も大人の入門者が少なくなっているようです。子供の入門者が増える中、保護者の方がお子さんに「礼儀・しつけ」を求めて入門させたいとよく言われます。私ども○○○○○○○○○○に集う人間関係は「教えあい学びあう」という不文律の道場訓のもと、「精神の自立宣言」としての「オス」を用いていきます。
仙人さんの内弟子チームのみなさんも「オス!」を良く使われていますね。
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